学校法人東北学院

東北学院の100年

第Ⅲ章 LIFE LIGHT LOVE
興隆時代 1901(明治34)年~1930(昭和5)年

宣教師の時代

アメリカの母教会内でようやく海外伝道への関心が高まるにつれて、第一次世界大戦後には多くの宣教師たちが続々と太平洋を越えて日本や中国に送られた。その中には、ランカスター神学校教授の地位を捨てて来日し、会津の使徒と仰がれたC・ノッス、山形・秋田に伝道したが、若くして歿したクック、宮城女学校で長く教鞭を取り、広く敬愛を集めたファウストやクリーテ、ハンセンとリンゼーなど数え切れない人材が多数含まれる。

ゲルハード一家は、独自の授業法で知られたポール・ゲルハード、その妹のミス・ゲルハード、長男で後に音声学者として戦後日本の英語教育に大きく貢献したロバートなど、数十年にわたって献身し、広く尊敬を集めた。神学部長、財務理事、理事長を歴任したゾーグは現行校歌の作曲者である。シュネーダーの長女メアリは宮城学院の宣教師として奉仕したが早逝した。次女マーガレットはA・アンケニーと結婚し、二人とも数十年にわたって日本伝道に尽力した。晩年のシュネーダーは風貌までも日本人らしくなり、学院関係者や仙台市民だけでなく全国的にも知られ、政・財界にも支持者が少なくなかった。また、日本在住宣教師たちの長老として、キリスト教勢力を結集した高度の綜合キリスト教大学の創設を提案している。他方ミセス・シュネーダーは飾らない人柄と持ち前の伝道熱心によって、ことに婦人たちに大きな影響を与えた。