学校法人東北学院

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【敬神愛人】東北学院大学前史―東北学院専門学校の時代―(史資料センターWEBコラム)

2019年04月09日

 東北学院大学は今年で創立70周年を迎えましたが、その設立にあたって、母体となった教育機関がありました。それは、1946(昭和21)年4月に、東北学院工業専門学校(旧航空工専)に代わって設立された東北学院専門学校(以下、専門学校)です。

 専門学校は、英文科と経済科を置く文科系の学校でした。教職員には、戦前から東北学院に奉職していた者の他に、外地から引き揚げてきたばかりだった小田忠夫(後の第6代院長)や情野鉄雄(後の第7代院長)など、新しい面々もいました。また、1947(昭和22)年には、太平洋戦争の開戦後に強制送還されたアメリカ人宣教師たちが仙台に戻ってきました。宣教師の一人であるアルフレッド・アンケニー(後の第5代院長)は、専門学校で英会話の授業を担当し、また、理事として東北学院の運営にも携わりました。

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 専門学校にはどのような学生たちがいたのでしょうか。1947年8月20日付の『東北学院時報』によれば、当時の専門学校の学生数は1,164名(うち、女学生は31名)いました。英文科の教授だった情野は、当時の学生たちについて、自著『東北学院とわたし―情野鉄雄―』のなかで、次のように述べています。

…そして学生層は、海軍兵学校、陸軍士官学校など、軍関係の学校を敗戦で中退した人たち、東北学院航空工業専門学校から転入してきた人たちなどもいて、経歴も年齢も多様でした。しかし食糧不足で肉体的飢餓感も強い時期でしたが、それ以上に、精神的、また知的飢餓感も強い時期でしたから、学生たちが、本当によく勉強した時代でした。…

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本館南側(1949年3月撮影)


 敗戦後の混乱の中にあっても、なお知的好奇心を満たしたい若者たちの受け入れ先となった専門学校は、1949(昭和24)年に設立された東北学院大学にその役割を譲り、1951(昭和26)年、最後の卒業生を送り出してその使命を終えました。