学校法人東北学院

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2018年度公開シンポジウム「戦時下の東北学院を語る」開催報告

2018年12月03日

 東北学院史資料センター主催2018年度公開シンポジウム「戦時下の東北学院を語る」が、12月1日にホーイ記念館ホールにおいて開催されました。
 本学名誉教授の出村彰氏と志子田光雄氏という、本学の教職員の子どもとして幼少期を過ごされ、本学にかつてない苦難と試練をもたらした戦時下を経験されたお二人の報告が聞けるとあって、当日は立ち見が出るほど大勢の方々が来場されました。
 開会にあたって佐々木哲夫院長は「本日は、東北学院大学の名誉教授であられるお二人の先生から戦時下の東北学院に関する貴重な証言をお伺いできる機会です。今回の講演を皆様と共有できることに感謝いたします」とあいさつしました。
 続いて、東北学院史資料センターの河西晃祐所長が「今日はまさに生き字引として東北学院の歴史に詳しいお二方に、貴重な資料を残していただくという意味も含めてご講演をお願いしました」と語り、出村氏と志子田氏のプロフィールを紹介しました。

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 はじめに「15年戦争を生きたキリスト教」と題して出村氏が登壇。「ほんのわずかな失速感と圧倒的な解放感に包まれた記憶は今なお鮮明に覚えています」と敗戦を迎えたときの心境を述べられました。そして、明治6(1873)年のキリシタン禁教高札の撤廃から、学校存続のための苦肉の策であった昭和19(1944)年4月の東北学院航空工業専門学校設置まで、国策に翻弄された日本のキリスト教と教育機関の歴史を振り返るとともに、クリスチャンホームに生まれ、「学校で教えられる『眞理』と家庭が奉ずる『眞理』の相克」に揺れた「少年の心の中の葛藤」などについても語られました。また、当時東北学院の要職を担っておられた父・剛(こう)氏の「私人(個人的信念)と公人(既存教育機関の責任者)との狭間での『せめぎ合い』」について、書き残された資料や家庭での言動を基に紹介され、さらに東北学院高等学部3年生が配属将校から「基督と天皇陛下とはどちらが偉いか」と質問された事件については特高資料などを引用しながら、戦時下にキリスト教が受けた迫害について詳しく紹介されました。
 続いて、「戦時下の東北学院を語る-見聞きしたことを中心に-」と題して志子田氏が講演。冒頭、昭和12(1937)年、現在のホーイ記念館前となる南六軒丁の通りで撮影された幼い子どもの写真をプロジェクターで紹介。それは当時3歳だった志子田氏本人であり、父親が東北学院の庶務会計担当の職員として現土樋キャンパス内にあった職員住宅にご一家で暮らしていたときに撮られた写真でした。その数年後に志子田氏がキャンパス内で見たものは、東北学院国防部の学生が窓に鉄格子の嵌った武器庫で、武器の手入れをする姿や、射撃班が現在の商品学教室辺りにあった射撃場で実弾射撃訓練をする姿でした。戦争が激しさを増すと金属献納が実施され、キャンパスを囲っていた鉄柵をはじめ、礼拝堂のシャンデリアや階段の手すりなどの金属類がことごとく回収され無造作に置かれていたことなどを教えてくださいました。また、「東北学院百年史に同窓会東京支部長の萱場資郞さんが航空工業専門学校設立の秘史と題して時報に載せた言葉を紹介します」として、「出村悌三郎院長は青ざめたお顔で上京。東北学院は時局柄、不要不急の教育機関である。今年限りで廃校を命じ、校舎は軍によって接収す」という文中の特に「不要不急」という言葉に大きなショックを受けたこと、その後、「東北学院が生き抜くために東北帝国大学に援助を求めて、当時総長だった熊谷岱蔵先生や工学部長の宮城音五郎先生らの協力を得て東北学院航空工業専門学校に転身したのです」と語られました。この他にも、仙台空襲時に避難した住宅脇の防空壕の目と鼻の先に不発弾が地面に突き刺さっていたことや、キャンパス南側の校庭内に落とされた爆弾によって大きな穴が空いたことなどは、その場にいた者でしか知りえない具体的で貴重な証言として、聴衆に大きな衝撃を与えました。

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 休憩を挟んだ第2部は、出村氏と志子田氏のお二人に加えて東北学院史資料センター調査研究員の日野哲氏が司会を務めたパネルディスカッションが行われました。「8月15日をどのように迎えたのか」という問いに出村氏は「その前にポツダム宣言受諾の情報を耳にしていましたが、あらためてほっとした気持ちと街に外灯が灯ったことが感動的でした」と語られ、志子田氏は「草の上に寝転んで1時間くらいぼーっとしていました。特攻として逝き遅れたということと、もう死ぬことはないんだという矛盾した感情がどっと押し寄せました。戦時下ですから戦うことを教育されてきたわけで、その経験があったから私は教員になったのです」と話されました。
 後半はフロアからの質問にも答えていただき、約3時間に渡るシンポジウムは終了の時間を迎えました。
 経験した者でないと語ることができない貴重な証言の数々はどれも興味深く、このような時代を経て今日平和を享受することができていることを実感することができたシンポジウムとなりました。

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