学校法人東北学院

創立125周年記念式が執り行われました

2011年05月16日

 5月14日午前10時から土樋キャンパス601番教室にて、東北学院創立125周年記念式が執り行われました。記念式には教職員並びに関係者が約300名が参加しました。記念式後には北山墓地にて校祖墓前礼拝が行なわれました。

理事長式辞

 東北学院創立百二十五周年記念式のご案内をいたしましたところ、本日ここに、ご多用中にもかかわらず、敬愛するご来賓各位、志を同じくする同窓の諸兄姉、そして職務に忠実な教職員、加えて、真摯に学ぶ学生・生徒代表者など東北学院関係者にお集まりをいただき、東北学院創立記念日礼拝を共に捧げ、共々にその喜びを分かち合うことができますことは大変光栄であり、慶賀の至りであります。また、東北学院に二十五年の勤めを無事果たされた同僚諸兄姉の長年に渡るそのご奉仕の業を寿ぎ、感謝と祝福ができますことは、誠に喜ばしく、幸いに存じます。これを導いてくださった東北学院の真の創立者・設置者、そして私たちの真の雇用主でもあり教師でもある万物の創造主である神に心から感謝するものであります。

  本年創立百二十五周年を迎えた東北学院は明治十九(一八八六)年、仙台神学校として、日本人最初期のプロテスタント牧師である押川方義と米国宣教師ウイリアム・E・ホーイによって創立されました。当時、たった六名の学生で始められました。五年後の明治二十四(一八九一)年には東北学院と名称を変更し、その中身も神学だけでなく、福音主義キリスト教に基づく普通教育を授ける高等教育機関に発展いたしました。翌年の明治二十五(一八九二)年に、ホーイが東北学院開院式で述べた教育の目標は「科学尊重と美的感受性の養育など」の一般教養(リベラルアーツ)を授けるに留まらず、それを超えての「聖なる精神と聖なる美しさの中に清らかな人格を形成すること」でありました。東北学院の教育の原型はここに見出すことができます。このことは機会ある度に、皆さんと共に、常に繰り返し確認していることであります。

  東北学院と改称して丁度百二十年後のこの創立百二十五周年の節目の年に東北学院大学文学部のキリスト教学科が総合人文学科に改編されました。これによって、伝道者要請をも担う宗教・神学専修を中心に、思想・哲学専修と文化・芸術専修にまで広がりをもち、人文学(リベラルアーツ)の深い学びだけでなく、その総合的学びが可能となり、ホーイの幻を新たな装いで現実化する歴史的責任を担う学科に変身いたしました。東北学院大学だけでなく法人すべての学校の人材養成の要と模範となることを期待しております。植える者も水を注ぐ者も成長させてくださる神の恵みを信じてその業に献身できることを祈念しております。

  創立記念日は建学の精神と創立者である押川・ホーイ・シュネーダーの三人の校祖を覚え、東北学院とそれに連なるすべての者の使命と責任を確認することに意味があります。恒例によって、三校祖の肖像画を正面に掲げてありますが、これは決して、三校祖を神に代わる者として崇めているものではありません。建学の精神は人によって継承され、伝えられるものであることを示すためであります。先ほど読んでいただいたマタイによる福音書第五章十四節には「あなたがたは世の光である」とあり、十六節には「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」また「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」とあります。三人の校祖は神様から賦与された世の光としての能力と才能を用い、それを輝かし、共に生きる人々に希望や恵みの光を注ぎ、そこに神様の働きがあることを証しました。人生の究極の目的は自分を高めて自慢できるようになるのではなく、神様が働いてくださっているからこそ、立派な行いができるのだということを人々がわかるようにしなさいというのです。謙虚な姿勢を常に心がけなさいというのです。人生の目的は神様が共におられることを気づいていただくようになることであります。肖像画は彼等の働きに神様の導きがあったことを感じ取っていただきたいという祈りを込めて掲げてあります。

  しかし、そのためには大変な試練と苦痛を体験せざるを得ませんでした。最も大きな試練の一つは第二代院長のシュネーダーが遭遇した大正八(一九一九)年三月二日払暁の仙台大火による二番丁の中学部校舎の消失であります。このことは今年三月三日に除幕式を執り行った二番町跡地に建立したLIFE、LIGHT、LOVEの記念碑の裏面の小史にも刻みました。当時の河北新報は次のように報じております。

  さしも壮麗の学院の校舎も灰燼に名残を留むる無惨さを呈せり同校舎は寄宿舎と共に明治三十八年九月建築費九万円を投じ東北有数の建築物として本邦中等学校無比の校舎たる江湖の讃美を博して竣成せるものにて校舎四百六十坪寄宿舎四十六坪時価五十万円其他内部の器具等を合算して六十万円の大損失を見るに至れるといふが五百余名の在学生徒を今後如何に処置すべきか校舎に相当の応急場所なしとすれば休校の已むなきにいたるやも計らざれど卒業生だけは同院専門部の一部校舎を使用し生徒に支障なきやう卒業試験を行ふべしとて即時同院職員は専門部に会合して善後策を熟議せるが幸ひに寄宿生には一名の故障なく無事避難せり
『東北学院百年史』はミセス・シュネーダーの次の文章を引用し、シュネーダーのこの災害遭遇当初の模様を伝えております。

  中学部が燃え落ちる絶望の真直中で、生徒たちは狂気のように彼らの敬愛する院長を探し回りました。長い不安な時が経って、ついに院長が見つかったとき、院長は緊張と憔悴とでくずおれるばかりでした。生徒たちは彼を家に連れ戻りました。彼はすぐに二階に昇って、裏窓に寄り、外を見やりました。そこにひざまづいた院長は、猛火が建物を呑み尽くすのを目のあたりにしました。中学部は働き盛りの労苦に満ちた長い年月の成果のすべてでした。何と熱心に彼は祈ったことでしたろうか、神が将来への望みと勇気をお与えくださるように、と。風向きが変わり、緊張が緩んだ時、夫は立ち上がり、生徒たちは彼を一階の書斎へと連れて降りました。そこで彼は失望の余り長椅子の上に倒れてしまいました。顔色は真っ青で、疲れきっていました。私は夫の一命を案じたほどでした。しかし、半日も経たないうちに彼は立ち上がりました。リフォームド教会は必ず私たちに援助の手を差し伸べ、この災難から生じた無数の困難な重荷を進んで負ってくれるだろうという信頼の念を、神にあって抱いていたからです。

  その日の内にシュネーダーはボード(外国伝道局)の幹事バーソロミュー博士宛手紙を認めます。淡々と震災の経過を報告し

“ We must hope that in some way it will work together for good. It is the greatest calamity that has come to my life. But we must not lose heart. We have no plans yet. Insurance $45,000. “

(「願わくは、この出来事がすべて相働いて益となりますように。これは私の生涯で起こった最大の災難です。しかし、気を落としてはならないと思います。どうしていいかまだわかりません。保険は四万五千ドル。」)
と自らに語りかけるように博士に訴え、手紙を結びます。

  私たちもまた仙台大火と奇しくも同じ時期の三月十一日午後二時四十六分に忽然として東日本大震災という空前の規模の災害を蒙りました。本学院では六名の学生生徒の尊い命が奪われ、行方不明者も一名おります。入学が確定していた学生生徒、大学一名、高校一名、中学校一名の計三名も命を失いました。大学、高校、中学入学目前と就職を間近に控えた中での悲しい出来事でした。家族を失った方もおり、家屋の流失、全壊や半壊、床上浸水など家屋の被災を受けられた方も多くおられます。余りの広域に渡り、余りにも大規模な被災でしたので、皆さまの中にも被害を蒙った方々がおられるかと思います。お見舞い申し上げます。亡くなった方々には御霊の安らぎを、ご遺族の方には上よりの慰めを衷心よりお祈り申し上げます。

  当然本学院各学校の教育研究施設設備にも多大の被害が及び、被災学生のための修学上の経済的支援等も含め、その復旧・復興にはこれから三年で数十億円の経費が必要と見積もられております。東北学院の中長期計画も見直さざるを得ません。

  この記念式に先立ち、東北学院を中心的に支えてくれている東北と言う地域と東北学院の復興を祈念した祈祷会をもちましたが、そこでは、ヘブライ人への手紙第十二章四〜七節の御言葉に耳を傾けました。四節に「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」、六節には「主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれる」とあります。未曾有の被災の辛さ、苦しさ、悲しみ、悔しさの中では、神との関わりを絶とうとする罪の誘惑に陥りがちでありますが、これと必死に戦うことが血を流すまでの抵抗であります。バーソロミュー宛のシュネーダーの手紙の結びにも、ローマの信徒への手紙第八章二十八節にある「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」というパウロの言葉の引用が見られ、ここに神への揺るぎ無い信仰の告白と苦悩の中で血を流すまでに罪に抵抗するシュネーダーの姿を垣間見ることができます。

  今、私たちは信仰が試され、神を畏れて自らを鍛えるチャンスが与えられております。先ほど読んでいただいた旧約聖書の箴言第一章七節の「主を畏れることは知恵の初め」は東北学院の建学の精神を示すものとして、最も大切にしているものの一つです。第二次世界大戦後の東北学院の復興のシンボルとなったシュネーダー記念図書館の玄関正面に掲げられたものです。「おそれる」という言葉には「畏敬の念」の「畏」という字が用いられております。「畏れ敬う」という意味です。ですから、神様を尊敬し敬うことから、知恵が始まるというのです。神様を敬うということは、価値基準を聖書の価値観に置くということで、それ以外からは一切自由になるということであります。他の価値観、特に、自分に都合の良い基準だけの生き方は、知恵のある生き方ではないというのです。逆に言えば、神様以外の価値観から自由になることによって与えられる知恵や神様からの諭しを侮れば、無知な愚かな人間になるというのです。「無知なる者は知恵をも諭しをも侮る」と箴言の著者は言い切ります。

  日本や東北地方の復旧・復興は十年、二十年、三十年の歳月が必要になります。これまでの、お金は無限に成長し増えるもの、増やすべきものというバブル神話や電力を含むエネルギー源は無限で絶対に安全という神話は体験的に崩れ去りました。生活の不便や困窮の中で、斬新な安心・安全を保証する科学技術と新しい幸福思想とも言える哲学を古典に学びながらも現実的に創造する知恵を働かす試練と課題が与えられております。例えば、『老子』五十八章の「禍は福の倚る所、福は禍の伏す所」には禍福の二元論からの解放があります。

  今こそ、神の愛によって与えられたかけがえのない「命」(LIFE)を信じ、大切にし、闇を照らす希望の「光」(LIGHT)を輝かし、創意工夫をなし、知恵を発揮し、思いやりと愛(LOVE)をもって己を鍛えながら、神を畏れる無心の心で、日本と東北の復興と世界の幸福を創造する事業に取り組む絶好の機会であります。

東北学院に連なる者すべてが「地の塩」「世の光」として、愛の奉仕のできる人になることを祈念し、東北学院創立百二十五周年記念式の式辞といたします。

平成二十三年五月十四日
学校法人東北学院  理事長 平河内 健治



記念式の様子(土樋キャンパス601番教室)
記念式の様子(土樋キャンパス601番教室)

校祖墓前礼拝の様子(北山墓地)
校祖墓前礼拝の様子(北山墓地)

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