【敬神愛人】「誰のための教育か 高橋潔と口語教育の時代」(史資料センターWEBコラム)
2026年05月29日
日本のろう教育の歴史を紐解く際に、欠かせない人物がいます。大阪市立聾唖学校(現在の大阪府立中央聴覚支援学校)の校長を務めた高橋潔(きよし)です。東北学院OBである高橋については、東北学院大学図書館の特設ページ「高橋潔 - ろう教育の父」をはじめとするさまざまな媒体で、手話を死守した教育者のひとりとして紹介されています。
高橋自身は聴者でした。なぜ、その生涯をろう教育に捧げたのでしょうか。
(後に手話の父といわれる) |
明治から昭和初期にかけて、日本のろう教育界を席巻したのは口話教育でした。相手の口の動きを読みとって理解し、発語により応答するこの手法は、1880(明治13)年にミラノで開催された第2回世界ろう教育国際会議をきっかけに世界的に推進されました。これと同時に、手話は口話教育の効果を低減させる手法として抑圧されます。日本においては、1933(昭和8)年に示された鳩山一郎文相訓示によって正式に手話の使用が禁止され、口話教育が進められます。
耳のきこえない娘を持ち、後に「口話教育の父」といわれるようになる西川吉之助が残した記録には、「手話を使えば『唖』(おし)として蔑まれる。口話によって普通学校や高等学校へ進ませ、世間から欠陥者として扱われないようにしたい。」と綴られています。ここからうかがえるのは、ろう者の子を持つ親の切実な願いと、多数派(聴者)と同様のふるまいをもって適応を図ったということです。口話教育は単なる教育的トレンドではなく、社会の差別から逃れるための手段として、家族や本人に受け入れられていきました。
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しかし、口話技術の習得が期待できるろう者は2割から3割程度とされ、残存聴力の有無や程度などによって個人差がありました。このような課題を持つ口話教育への偏重と手話教育への抑圧は、ろう者が自分の気持ちを表現したり、疑問を自由に発したりすることを難しくしただけでなく、教育を受ける権利をも危うくしました。
全国のろう教育者が口話教育を進める中で、高橋は孤立しながらも「手話は日本文を書くための教育の手段であり、同時に感情および道徳観、宗教的情操などの精神の教育の手段である」とその重要性を主張します。手話を「言語」として位置づけ、口話教育と手話教育のどちらか、個人の資質にあった指導を継続しました。
高橋の功績は、単に手話を守ったことにとどまりません。多数派へ迎合するかのような対応をとるのではなく、「その人がその人として学べる権利」を優先した点にあります。これは、ろう者に対する強制を排し、個人の人格と尊厳を尊重することでした。
手話教育を守った高橋の戦いは単なる教育手法の選択ではなく、多層的な抑圧への抵抗であったといえるでしょう。結局、日本で手話が正式に「言語」と位置づけられたのは2011(平成23)年でした。このことは、今なお多様性という言葉の真意を我々に問いかけています。多数派の理屈で少数派を排除しない。彼の足跡からは、その一見当たり前の公平さを維持することが、いかに孤独で困難であるかがうかがえます。