西暦 | 和暦 | 歴代役職者 | 東北学院に関わる時事 |
1886年 | 明治19年 | ウィリアム・E・ホーイ仙台着任(1月)。押川方義、ウィリアム・E・ホーイの両名の協力により、キリスト教伝道者養成の目的をもって仙台市木町通に「仙台神学校」を開設(5月)。最初の生徒は6名であった。E・R・プルボー、M・B・オールトが来日(7月)。宮城女学校(現在の「宮城学院」)を創立(9月) | |
1887年 | 明治20年 | 東二番丁の本願寺別院跡を取得し、仙台教会と仙台神学校をここへ移す(5月) | |
1888年 | 明治21年 | D・B・シュネーダー夫妻仙台着任(1月)。ジョン・オールト記念館完成(11月) | |
1891年 | 明治24年 | 南町に新校舎が完成(9月)。校名を「東北学院 (North Japan College)」と改称し、神学生のみに限らず、広く生徒を募集し、普通科を設置。予科2年・本科4年・神学部3年とする | |
1892年 | 明治25年 |
押川 方義 W.E.ホーイ |
労働会創設(3月)。東北学院理事局を組織、初代院長に押川方義、副院長・理事局長にウィリアム・E・ホーイ就任(8月)。東北学院開院式(11月) |
1895年 | 明治28年 | 予科・本科を改組し、普通科5年、その上に専修部(文科・理科)2年とする | |
1896年 | 明治29年 | 島崎春樹(藤村)、作文・英語教師として着任 | |
1898年 | 明治31年 | 理科専修部を廃止 | |
1900年 | 明治33年 | D.B.シュネーダー |
第2代理事局長にD・B・シュネーダー就任(10月) |
1901年 | 明治34年 | 笹尾 粂太郎 |
普通科長に笹尾粂太郎就任(4月)。普通科に制帽を制定。徽章TG章制定。第2代院長にD・B・シュネーダー就任 |
1903年 | 明治36年 | 東北学院同窓会結成 | |
1904年 | 明治37年 | 全校を普通科(5年)と専門学校令による専門科(3年)とに分け、専門科に文学部と神学部とを置く。専門科長に出村悌三郎就任(4月) | |
1905年 | 明治38年 | 田中 四郎 |
専門科を専門部、文学部を文科、神学部を神学科と改称。東二番丁に普通科校舎完成。専門部に角帽を制定。徽章は全校TG章を用いる。普通科長に田中四郎就任(9月) |
1906年 | 明治39年 | 普通科寄宿舎完成 | |
1908年 | 明治41年 | 「社団法人東北学院」を設置。創立記念日を5月15日に定める | |
1910年 | 明治43年 | 校旗を制定 | |
1911年 | 明治44年 | 創立25周年記念式典挙行 | |
1915年 | 大正4年 | 普通科を中学部と改称(5月・生徒数357名)。中学部長に田中四郎就任 | |
1916年 | 大正5年 | 『東北学院時報』創刊(1月)。南六軒丁(現大学土樋キャンパス)に専門部校地取得 | |
1918年 | 大正7年 | 専門部を改組、神学科・文科・師範科・商科とする | |
1919年 | 大正8年 | 仙台大火のため中学部校舎・寄宿舎全焼(3月)。仮校舎建築(9月) | |
1920年 | 大正9年 | 五十嵐 正 |
中学部長に五十嵐正就任(1月) |
1921年 | 大正10年 | 中学部寄宿舎再建(9月) | |
1922年 | 大正11年 | 中学部校舎再建〈東二番丁・通称赤レンガ校舎〉(6月) | |
1923年 | 大正12年 | 東北学院教会設立(5月) | |
1925年 | 大正14年 | 神学科を専門部より分離し、神学部(第一科・第二科)とする。専門部は文科、師範科、商科となる | |
1926年 | 大正15年 | 南六軒丁に専門部校舎完成(現土樋本館)、9月より使用。創立40周年記念式ならびに専門部校舎落成式を挙行(10月) | |
1928年 | 昭和3年 | 専門部3科とも予科を廃止、4年制とする。ハウスキーパー記念社交館完成(3月) | |
1929年 | 昭和4年 | 専門部を高等学部と改称。神学部第二科を廃止、第一科を神学部本科と改称し、3年の予科を置く。「財団法人東北学院」を設置(8月) | |
1930年 | 昭和5年 | 高等学部師範科に専攻科1年を置く | |
1932年 | 昭和7年 | 高等学部は3学期制を2学期制に改める。ラーハウザー記念礼拝堂完成(3月)。労働会寄宿舎を廃止。中学部寄宿舎を廃止し、神学部寄宿舎をその跡に移す | |
1934年 | 昭和9年 | 神学部、南六軒丁ブラッドショウ館に移る | |
1935年 | 昭和10年 | 高等学部長代理に津久井善四郎就任(4月) | |
1936年 | 昭和11年 |
出村 悌三郎 E.H.ゾーグ |
高等学部文科を文科第一部、師範科を文科第二部と改称。創立50周年記念式典挙行。院長シュネーダー、「我は福音を恥とせず」と題する説教を行う。第3代院長に出村悌三郎就任(5月)。旧労働会建物および敷地を売却。第3代理事長にE・H・ゾーグ就任(6月) |
1937年 | 昭和12年 | 神学部廃止、日本神学校と合同(3月)。高等学部は3年制となる。高等学部長にE.H.ゾーグ就任(4月) | |
1938年 | 昭和13年 | 田口 泰輔 |
中学部長に田口泰輔就任(4月) |
1939年 | 昭和14年 | 中学部長に出村剛就任(4月) | |
1940年 | 昭和15年 | 南町通旧神学部校舎および敷地を売却。東北学院維持会を組織。花淵浜高山に修養道場建築用地を取得。第4代理事長に出村悌三郎就任(10月) | |
1941年 | 昭和16年 | 小泉 要太郎 |
高等学部長に出村剛、中学部長に小泉要太郎就任(4月) |
1942年 | 昭和17年 | 高等学部商科第二部および中学部第二部を設置(ともに夜間) | |
1943年 | 昭和18年 | 高等学部商科を高等商業部、中学部を中学校と改称。中学校長に出村悌三郎院長兼任(4月) | |
1944年 | 昭和19年 |
宮城 音五郎 杉山 元治郎 |
航空工業専門学校設置。航空工業専門学校長に宮城音五郎就任(4月)。第5代理事長に杉山元治郎就任(6月) |
1945年 | 昭和20年 | 中学校長に出村剛就任(4月)。航空工業専門学校を工業専門学校と改称(12月)。中学校校舎空襲により焼失 | |
1946年 | 昭和21年 |
出村 剛 月浦 利雄 |
高等商業部および同第二部を廃止(3月)。東北学院専門学校(英文科・経済科)および同二部を設置。第4代院長に出村剛就任。中学校長に月浦利雄就任(4月)。専門学校長に出村剛就任(4月) |
1947年 | 昭和22年 | 鈴木 義男 |
工業専門学校廃止。新制中学校設置。専門学校校舎木造2階建4教室増築完成。第6代理事長に鈴木義男就任(7月) |
1948年 | 昭和23年 | 新制高等学校、同第二部を設置。月浦利雄同高等学校長ならびに中学校長兼任(4月)。専門学校長に小田忠夫就任(4月) | |
1949年 | 昭和24年 | 東北学院専門学校から新制大学に昇格。東北学院大学文経学部(4年制、英文学科・経済学科)を設置。初代学長に小田忠夫就任。東九番丁寄宿舎完成 | |
1950年 | 昭和25年 | A.E.アンケニー |
東北学院短期大学部(2年制、英文科第二部・経済科第二部)を設置。第5代院長にA・E・アンケニー就任(3月) |
1951年 | 昭和26年 | 小田 忠夫 |
「学校法人東北学院」を設置。専門学校を廃止。短大別科を設置。第6代院長に小田忠夫就任。中高理科教室鉄筋コンクリート造3階建完成 |
1952年 | 昭和27年 | 短期大学部に法科第二部を設置 | |
1953年 | 昭和28年 | 五十嵐 正躬 |
中学校・高等学校分離、中学校長に五十嵐正躬就任(4月)。総合運動場を多賀城市に開設。シュネーダー記念東北学院図書館完成(10月) |
1954年 | 昭和29年 | 多賀城第2寄宿舎完成 | |
1955年 | 昭和30年 | 創立70年記念式典挙行。中学校校舎鉄筋コンクリート造3階建9教室完成。『東北学院創立七十年写真誌』を刊行(5月)。在米同窓生、創立70年記念として礼拝用鐘を寄贈(12月)。蔵王にTGヒュッテ「栄光」完成 | |
1956年 | 昭和31年 | 中学校・高等学校体育館完成(3月)。ウィリアム・E・ホーイ碑、出村悌三郎墓を北山墓地に建立(4月)。大学音楽館完成(10月) | |
1958年 | 昭和33年 | 中学校赤レンガ校舎は都市計画により9教室を失う(4月)。中学校・高等学校鉄筋コンクリート造4階建8教室完成(4月)。大学体育館「アセンブリー・ホール」完成(9月) | |
1959年 | 昭和34年 | 中学校・高等学校一本化、中学校長に月浦利雄高等学校長兼任(1月)。短期大学部を東北学院大学文経学部二部(英文学科・経済学科)に改組。高等学校榴ケ岡校舎を開設。『東北学院七十年史』を刊行(7月)。大学研究棟鉄筋コンクリート造4階建完成(9月)。自然科学研究室青根分室を開設(10月) | |
1960年 | 昭和35年 | 短期大学部を廃止(3月) | |
1961年 | 昭和36年 | 文経学部英文学科に専攻科を設置 | |
1962年 | 昭和37年 | 多賀城町(現多賀城市)に東北学院大学工学部(機械工学科、電気工学科、応用物理学科)を設置。同校地に東北学院幼稚園を開設。初代幼稚園長に小田忠夫院長就任(4月) | |
1963年 | 昭和38年 | 押川記念館完成(2月)。工学部寄宿舎完成。大学オーディオ・ヴィジュアルセンター完成。野間記念剣道場完成(7月)。第7代理事長に杉山元治郎就任(9月) | |
1964年 | 昭和39年 | 山根 篤 |
東北学院大学文経学部一部・二部を文学部一部・同二部および経済学部一部・同二部に改組。大学院文学研究科修士課程を設置。中学校・高等学校地の一部を仙台市に市道として売却。大学64年館完成(10月)。第8代理事長に山根篤就任(11月) |
1965年 | 昭和40年 | 東北学院大学法学部(法律学科)および大学院経済学研究科修士課程を設置。赤レンガ校舎一部取壊し(1月)。宮城郡泉町市名坂字天神沢(現仙台市泉区天神沢)に10万坪の校地を取得(5月)。同窓会にTG十五日会発足(7月15日)。工学部4号館完成(10月)。中学校・高等学校新校舎、礼拝堂完成(11月)。大学土樋寄宿舎完成 | |
1966年 | 昭和41年 | 大学院文学研究科博士課程、工学研究科応用物理学専攻修士課程を設置。創立80周年記念式典挙行。大学66年館完成(6月)。大学泉寄宿舎完成。青根セミナーハウス完成 | |
1967年 | 昭和42年 | 工学部に土木工学科を増設。中学校・高等学校運動部室完成(3月)。大学院経済学研究科修士課程を改組。大学67年館完成(5月)。中学校・高等学校向山寄宿舎完成 | |
1968年 | 昭和43年 | 大学院経済学研究科博士課程、工学研究科応用物理学専攻博士課程を設置。工学部5号館・6号館完成(3月)。中学校・高等学校弓道場完成(3月)。大学新研究棟68年館完成(8月)。『東北学院大学学報』創刊(10月) | |
1969年 | 昭和44年 | 工学部旭ヶ岡寄宿舎完成。第9代理事長に月浦利雄就任(4月) | |
1970年 | 昭和45年 | 工学部校地に東北学院プール完成 | |
1971年 | 昭和46年 | 二関 敬 |
大学院工学研究科修士課程に機械工学専攻および電気工学専攻を設置。倉石ヒュッテ完成。中学校・高等学校長に二関敬就任(9月)。榴ケ岡校舎(高校)校長に五十嵐正躬就任(9月)。大学文団連棟焼失(9月) |
1972年 | 昭和47年 | 東北学院榴ケ岡高等学校として独立(4月)。高山セミナーハウス完成(7月)。泉市市名坂(現仙台市泉区天神沢)に榴ケ岡高等学校校舎が完成移転(8月)。榴ケ岡高等学校体育館完成(12月) | |
1973年 | 昭和48年 | 渡辺 平八郎 |
東北学院同窓会館完成(4月)。米国アーサイナス大学に第1回夏期留学生を派遣。中学校・高等学校寄宿舎完成。幼稚園長に渡辺平八郎就任(7月) |
1974年 | 昭和49年 | 大学院工学研究科博士課程に機械工学専攻および電気工学専攻を設置。第10代理事長に小田忠夫就任(3月) | |
1975年 | 昭和50年 | 大学院法学研究科修士課程を設置。大学67年館増築完成(6月) | |
1976年 | 昭和51年 | 創立90周年記念式典挙行 | |
1977年 | 昭和52年 | 中学校・高等学校長に田口誠一就任(4月)。榴ケ岡高等学校長に小田忠夫院長兼任(4月) | |
1978年 | 昭和53年 | 清水 浩三 |
大学90周年記念館完成(2月)。榴ケ岡高等学校長に清水浩三就任(4月)。中学校・高等学校赤レンガ校舎、宮城県沖地震のため一部倒壊(6月)。TGヒュッテ焼失(8月)。ラーハウザー記念東北学院礼拝堂(土樋キャンパス礼拝堂)に新パイプオルガンを設置(11月) |
1979年 | 昭和54年 | 大学院法学研究科博士課程を設置。工学部計算センター完成(3月)。中学校・高等学校赤レンガ校舎見送り式(3月)。大学78年館および部室棟完成(9月)。TGヒュッテ再建(10月)。東北学院展開催(十字屋仙台店・10月) | |
1980年 | 昭和55年 | 中学校・高等学校シュネーダー記念館完成(3月)。工学部機械工場および機械実験棟完成(3月)。榴ケ岡高等学校礼拝堂および北校舎完成(8月)。泉校地総合運動場および管理センター完成(9月)。中学校・高等学校文化部室完成(9月) | |
1981年 | 昭和56年 | 大学81年館完成(3月)。『東北学院報』創刊(4月)。情報処理センター設置。総合運動場プール完成(5月)。榴ケ岡高等学校第1回海外研修(8月)。工学部体育館完成(10月) | |
1982年 | 昭和57年 |
情野 鉄雄 児玉 省三 |
米国アーサイナス大学と国際教育交流協定を締結。第7代院長・第2代大学長に情野鉄雄就任(4月)。第11代理事長に児玉省三就任(4月)。図書館工学部分館完成(11月) |
1983年 | 昭和58年 | 高校第二部廃止(3月)。榴ケ岡高等学校校舎増築完成(3月)。工学部礼拝堂完成(10月) | |
1984年 | 昭和59年 | 新シュネーダー記念図書館完成。高等学校第1回海外研修(7月) | |
1985年 | 昭和60年 | 大学整備計画案(教養学部泉校地移転など)公表(1月)。旧シュネーダー記念東北学院図書館を大学院校舎に改装(11月)。幼稚園新園舎完成(12月) | |
1986年 | 昭和61年 | 創立100周年記念式典挙行。米国フランクリン・アンド・マーシャル大学と国際教育交流協定を締結。榴ケ岡高等学校北校舎増築完成(3月) | |
1987年 | 昭和62年 |
宗方 司 半沢 義巳 |
中学校・高等学校長に宗方司就任(4月)。榴ケ岡高等学校長に半澤義巳就任(4月)。中学校・高等学校体育館武道館完成(12月) |
1988年 | 昭和63年 | 橋本 清 |
大学泉キャンパス完成、大学教養部を移転。榴ケ岡高等学校礼拝堂増築完成(3月)。幼稚園長に橋本清就任(4月) |
1989年 | 平成元年 | 新妻 卓逸 |
泉キャンパスに教養学部(教養学科人間科学専攻・言語科学専攻・情報科学専攻)を開設。幼稚園長に新妻卓逸就任(4月)。『東北学院百年史』刊行(5月) |
1990年 | 平成2年 | 大学院工学研究科土木工学専攻修士課程を設置 | |
1991年 | 平成3年 | 武藤 俊男 |
多賀城キャンパス1号館完成(3月)。榴ケ岡高等学校部室棟完成(3月)。中学校・高等学校長に武藤俊男就任(4月)。中学校・高等学校社会科教室完成(7月) |
1992年 | 平成4年 | 大学院工学研究科土木工学専攻博士後期課程を設置。榴ケ岡高等学校柔道・剣道場および校舎増築完成(4月)。第12代理事長に情野鉄雄就任(6月) | |
1993年 | 平成5年 | 工学部2号館完成。中学校・高等学校移転決定(3月) | |
1994年 | 平成6年 | 大学院人間情報学研究科人間情報学専攻修士課程を設置 | |
1995年 | 平成7年 | 田口 誠一 |
榴ケ岡高等学校を男女共学制に移行。第8代院長に田口誠一就任。第3代大学長に倉松功就任(4月) |
1996年 | 平成8年 | 脇田 睦生 |
大学院人間情報学研究科人間情報学専攻博士後期課程を設置。榴ケ岡高等学校家庭科実習棟完成(2月)。榴ケ岡高等学校長に脇田睦生就任(4月)。榴ケ岡高等学校第1回ホームカミングデー実施(9月) |
1997年 | 平成9年 | 大学院文学研究科ヨーロッパ文化史専攻修士課程、アジア文化史専攻修士課程を設置 | |
1998年 | 平成10年 | 幼稚園長に田口誠一院長兼務(4月) | |
1999年 | 平成11年 | 大学院文学研究科ヨーロッパ文化史専攻博士後期課程、アジア文化史専攻博士後期課程を設置。大学設置50周年記念式典挙行。第13代理事長に田口誠一就任(4月) | |
2000年 | 平成12年 | 長谷川 信夫 |
文学部英文学科、経済学部経済学科と商学科に昼夜開講制を導入。文学部二部英文学科と経済学部二部経済学科は募集停止。幼稚園長に長谷川信夫就任(4月)。土樋キャンパス8号館(押川記念ホール)・体育館完成(9月)。大学第1回ホームカミングデー(同窓祭)開催(10月)。大学シンボルマークを決定。仙台市宮城野区小鶴地区に中学校・高等学校移転校地取得(3万1千坪) |
2001年 | 平成13年 | 文学部基督教学科をキリスト教学科に、経済学部商学科を経営学科に、教養学部教養学科言語科学専攻を言語文化専攻にそれぞれ改称(4月)。東北学院資料室開設(5月) | |
2002年 | 平成14年 |
出原 荘三 杉本 勇 |
工学部機械工学科を機械創成工学科に、電気工学科を電気情報工学科に、応用物理学科を物理情報工学科に、土木工学科を環境土木工学科にそれぞれ改称。大学院経済学研究科経営学専攻修士課程を設置。中学校・高等学校長に出原荘三就任、榴ケ岡高等学校長に杉本勇就任(4月) |
2003年 | 平成15年 |
赤澤 昭三 倉松 功 長島 慎二 |
第14代理事長に赤澤昭三、第9代院長および同窓会長に倉松功就任(4月)。幼稚園長に長島慎二就任(4月)。東北学院同窓会100周年記念式典挙行(11月) |
2004年 | 平成16年 | 松本 芳哉 |
法科大学院・総合研究棟完成(2月)。第4代大学長に星宮望就任(4月)。中学校・高等学校長に松本芳哉就任(4月)。大学院法務研究科法実務専攻専門職学位課程(法科大学院)を設置(4月) |
2005年 | 平成17年 | 中学校・高等学校新校舎完成(仙台市宮城野区小鶴)(1月)。東北学院同窓会館閉館(3月)。文学部史学科を歴史学科に、教養学部教養学科人間科学専攻、言語文化専攻、情報科学専攻を教養学部人間科学科、言語文化学科、情報科学科に改組し、教養学部地域構想学科を新設(4月) | |
2006年 | 平成18年 | 久能 隆博 |
工学基礎教育センター完成(3月)。工学部機械創成工学科を機械知能工学科に、物理情報工学科を電子工学科に、環境土木工学科を環境建設工学科に改称(4月)。榴ケ岡高等学校長に久能隆博就任(4月)。創立120周年記念式典挙行(5月) |
2007年 | 平成19年 |
星宮 望 永井 英司 |
中学校・高等学校新寄宿舎完成。ハイテク・リサーチセンター完成(3月)。第10代院長に星宮望就任(4月)。中学校・高等学校長に永井英司就任(4月)。多賀城市との連携協定締結(11月) |
2008年 | 平成20年 | 平河内 健治 |
第15代理事長に平河内健治就任(6月)。榴ケ岡高等学校体育館・管理棟完成(9月)。教養学部創設20周年記念式典挙行・同窓会設立 |
2009年 | 平成21年 | 経済学部経営学科を経営学部経営学科に改組、経済学部に共生社会経済学科を新設(4月)。大学院経営学研究科修士課程を設置(4月)。幼稚園長に平河内健治兼任(4月)。榴ケ岡高等学校創立50周年記念式典挙行(11月)。東北学院大学博物館開設(11月) | |
2010年 | 平成22年 | バイオテクノロジー・リサーチ・コモン棟完成(3月)。東北学院発祥の地に記念碑建立(10月) | |
2011年 | 平成23年 | 佐々木 勝彦 |
中学校・高等学校跡地に記念碑建立(3月)。文学部キリスト教学科を文学部総合人文学科に改組(4月)。幼稚園長に佐々木勝彦就任(4月) |
2012年 | 平成24年 | 湯本 良次 |
榴ケ岡高等学校長に湯本良次就任(4月)。工学部設置50周年記念式典挙行(11月)。 |
2013年 | 平成25年 |
大橋 邦一 阿部 正子 |
第5代大学長に松本宣郎就任(4月)。中学校・高等学校長に大橋邦一就任(4月)。幼稚園長に阿部正子就任(4月)。文学部史学科・歴史学科創設50年記念式典挙行(11月) |
2014年 | 平成26年 | 松本 宣郎 |
第16代理事長に松本宣郎就任(4月) |
2015年 | 平成27年 | 佐々木 哲夫 |
第11代院長に佐々木哲夫就任(4月)。法学部設置50周年記念式典挙行(5月)。 |
2016年 | 平成28年 | ホーイ記念館完成(3月)。創立130周年記念式典挙行(5月)。東北学院旧宣教師館(デフォレスト館)が国の重要文化財に指定(7月)。ホーイ記念館にラーニング・コモンズ「コラトリエ」オープン(9月)。 | |
2017年 | 平成29年 | 工学部電気情報工学科・電子工学科を改組し、電気電子工学科・情報基盤工学科を設置(4月) | |
2018年 | 平成30年 | 文学部に教育学科を新設(4月) | |
2019年 | 平成31年 |
大西 晴樹 阿部 恒幸 |
第12代院長に松本宣郎就任(4月)。第6代大学長に大西晴樹就任(4月)。中学校・高等学校長に阿部恒幸就任(4月) |
2020年 | 令和2年 |
原田 善教 島内 久美子 |
第17代理事長に原田善教就任(4月)。第13代院長に大西晴樹就任(4月)。幼稚園長に島内久美子就任(4月) |
2021年 | 令和3年 |
河本和文 |
榴ケ岡高等学校長に河本和文就任(4月)。 |
2022年 | 令和4年 | 工学部設置60周年記念式典挙行、幼稚園創立60周年記念公演挙行(11月) | |
2023年 | 令和5年 |
帆足直治 |
五橋キャンパス開学。経済学部、工学部、教養学部を改組。共生社会経済学科、情報基盤工学科、人間科学科、言語文化学科、情報科学科、地域構想学科は募集停止。地域総合学部(地域コミュニティ学科・政策デザイン学科)、情報学部(データサイエンス学科)、人間科学部(心理行動科学科)、国際学部(国際教養学科)を新設(4月)。中学校・高等学校長に帆足直治就任(4月)
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