学校法人東北学院

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【敬神愛人】空から学院を眺めたら―泉校地とその周辺の変遷―(史資料センターWEBコラム)

2019年06月24日

 仙台市北部に位置する泉区には、榴ケ岡高校と大学の泉キャンパスがあり、周辺には、アパート・マンションなどの賃貸物件、そして、飲食店や娯楽施設が並び立っています。こうした街並みは、ここ50年ほどの間に形成されてきたものであり、それは、榴ケ岡高校や泉キャンパスの歴史とも深く関わっています。当時の生徒や学生たちが通学時に見たであろう校地と景色の変遷を、空からの写真で追ってみましょう。

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写真①(1970年撮影)

 写真①は、1970(昭和45)年に撮影されたものです。東北学院が新たな校地として泉に土地を取得したのは1965(昭和40)年のことです。当時、高校や大学への進学者が急増し、それに対応するための校舎の新設・増築が緊急の課題となっていました。しかし、土樋キャンパスや多賀城キャンパスの拡張などが優先されたこともあって、泉校地の開発にまで手が回らない状況でした。そのため、校地には、大学の男子学生用の寄宿舎しか建てられておらず(赤丸の箇所)、後に榴ケ岡高校の校地となる場所は更地のままでした。

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写真②(1984年撮影)

 写真②は、1984(昭和59)年に、北側から撮影されたものです。1971(昭和46)年、榴ケ岡高校は泉校地に新校舎を建設し、その翌年4月には独立校となりました。新校舎の竣工はその年の8月で、以後、体育館や部室棟、礼拝堂の増設が行われました。また、1979(昭和54)年から泉校地総合運動場の開発が行われました。この間に、泉町は泉市となり(1971年)、泉パークタウンなどの大規模な住宅団地開発が進められ、国道4号線沿いには大型店舗が進出し始めましたが、写真の下部にあたる永和台団地にはまだ空き地も多く、また、写真上部に見える国道4号線の脇には、水田が広がっていました。

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写真③(1990年撮影)

 写真③は、1990(平成2)年に撮影されたもので、1988(昭和63)年に完成した泉キャンパスが写っています。泉キャンパスの完成により、文学部・経済学部・法学部の1~2年生は土樋から泉へと学びの場を移しました。また、1989(平成元)年には教養学部が新設されました。こうして、泉校地の周辺には、学生向けのアパートやマンション、パンション(食事付き賃貸物件)が次々と建設されていきました。
2023(令和5)年に、大学泉キャンパスの校舎は新しくアーバン(都市型)キャンパスとして整備される五橋キャンパスに統合される予定です。泉校地とその周辺の光景は、これからどのような変化を遂げていくのでしょうか。