学校法人東北学院

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年頭所感-佐々木哲夫院長-

2018年01月04日

建学の精神の継承

 
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院長 佐々木哲夫


 1891年、仙台神学校は高等普通教育機関の東北学院へと改組されました。その教育について、初代院長押川方義は、日本の子弟に必要な知識を基督教主義の教育方法もって施し、霊肉ともに健全な成長を期するものと説きました。副院長 W・E・ホーイは、東北学院開院式において英語で演説し、学舎の基盤は創造主なる神であり教育の方法は基督教主義であると明言し、最先端の知識の獲得のみならず思考や言葉や行為において清くある人間の育成をめざすことを説きました。第2代院長 D・B・シュネーダーは、学院の教育目的を(1)基督教主義に基づく申し分のない一般教育を授けること(2)聖書に示されている基督教信仰を基盤とする道徳教育を授けること(3)牧師職や他の職業のために備える若者に熟達した高等訓練を授けること、また「道徳と敬虔と霊的生活を涵養するために、通常は讃美と聖書朗読と祈祷からなる礼拝を授業の前に毎日行う。礼拝には生徒全員の出席が求められている」と説明しています。
 しかし、仙台神学校の理念を継承し学校礼拝と聖書講義の責任を担っていた神学部は、1936年の年度末をもって廃止され、日本神学校と合同します。1877年設立の東京一致神学校や1883年設立の東京一致英和学校など長老派・改革派系の神学教育が既に東京で行われており仙台に神学校を置く神学的必然性や経済負担の重圧が問題とされました。この課題は、仙台神学校の創設時以来米国ドイツ改革派教会において議論されてきたものでもありました。1886年東京一致神学校と東京一致英和学校及び神田英和予備校の合同によって明治学院が創設され、1930年には、明治学院神学部と植村正久の東京神学社の合併によって日本基督教会の神学校である日本神学校が設立されました。この日本神学校に東北学院神学部も合同したのです。東北学院理事会は、日本神学校との協議の結果、日本神学校に年額2,000円の寄付と日本神学校に進学する東北学院卒業生への奨学金を設定しています。1949年の学制改革により日本神学校は東京神学大学になりました。東北学院神学部の廃止によって、仙台神学校創設以来の理念象徴の組織を失うのみならず、仙台や東北における神学部の声望と影響力の減衰や学内における学校礼拝や聖書講義の主体喪失が懸念されました。
 1951年、小田忠夫は、院長就任の抱負としてキリスト教学科の設置を掲げました。その前提的組織として四月にキリスト教研究所を設置しています。同年10月、入学定員20名の学科、赤字覚悟の神学科増設の認可申請を文部省に提出しました。しかし、翌11月、理事会は、神学科増設を見合わせ、認可申請の取り下げを申し出ています。建学の理念の具現化である学校礼拝とキリスト教講義とキリスト教活動を担う組織の構築は、1964年の文経学部の分離に伴う文学部基督教学科〔定員10名〕設置まで留保されました。基督教学科新設にあたり小田学長は、設置者として学科の教員に対し3つの務め、(1)伝道者養成の専門教育を担うこと、(2)一般教育に携わりキリスト教学を担当すること、(3)毎朝の学校礼拝に説教者として奉仕すること、を学科教員の使命として伝達しました。いわゆる、小田ドクトリンです。
 基督教学科に課せられた三重の使命の限界は、1968年頃から際立ってきます。すなわち、キリスト教学と礼拝説教を実質的に担当する教員を教養〔学〕部に配属し宗教部活動の主体とさせ、キリスト教学科教員は専ら伝道者養成の専門教育に従事するという二重構造が形成されたのです。大学紛争におけるキリスト教学科教員間の見解の相違や学科学生の定常的定員割れは、この二重構造を複雑なものにします。倉松功学長の提案による「教員定数」に基づく「教員組織の見直し」による組織の一体化は実現されず、建学の理念を担う主体の問題は深刻化します。
 建学の理念に関わる組織的閉塞状況を打破すべく、星宮望学長は、2008年、キリスト教学科廃止の提案を含む「東北学院大学のキリスト教関連活動の改革について」を諮問しました。大学は、作業部会を設置し(1)キリスト教関係教員はキャンパス・ミニストリーを担い、大学礼拝説教や宗教部活動を担当する、(2)キリスト教学科を廃止し、11名程度の教員で定員30名の総合人文学科を新設し、思想・哲学、文化・芸術、宗教・神学の三分野を置き、その中でキリスト教伝道者養成を図る、(3)キリスト教学を半期科目とし、1年次4単位必修、3年次2単位選択必修科目とする、を答申しました。2011年、キリスト教学科は廃止され総合人文学科が新設されたのです。