学校法人東北学院

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【敬神愛人】東北学院と「シップル館」―宣教師館が歩んだ戦後―(史資料センターWEBコラム)

2019年09月17日

 学校法人東北学院が所有する、旧宣教師館「デフォレスト館」。重要文化財に指定されているこの建物の名称は、明治中期から後期までの居住者であったJ・H・デフォレストに由来するものです。しかし、近年までこの建物は戦後の居住者であった宣教師の名前をとって、「シップル館」と呼ばれていました。
 「シップル館」の由来となったカール・シップル(1904~1978)は、戦前から英語教師として東北学院で教鞭をとっていた人物でした。1948(昭和23)年、家族を連れて再来仙したシップルは、アンケニー夫妻他3名の宣教師とともに、後に「シップル館」と呼ばれる宣教師館に住むこととなりました。やがて、他の宣教師たちが住居を移したことで宣教師館にはシップル一家だけが住むこととなり、1955(昭和30)年まで彼らの住居として利用されました。

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写真1 シップル夫妻


 シップルが引っ越した後、宣教師館は大学施設として利用されるようになりました。1957(昭和32)年に刊行された『東北学院七十年史』では、宣教師館(写真2の赤矢印の建物)は「教授研究室」と紹介されています。同じく土樋キャンパス構内にあった宣教師館(写真2の青矢印の建物)が「ブラッドショー館」という名称になっていることを考えると、このころにはまだ、「シップル館」とは呼ばれていなかったと思われます。「シップル館」という呼称が確認できるのは1968(昭和43)年のことで、同年10月10日付で発行された『東北学院大学学報』に、教授陣の研究室として「シップル館」の名前が見られます(写真3の右下)。

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写真2 1957年の土樋キャンパス構内の図 写真3 『東北学院大学学報』


 「シップル館」は、1981(昭和55)年に現在の大学6号館(旧81年館)が竣工するまで、大学教授室として利用され続けました。その後、「シップル館」は大学院事務室、教職員の厚生施設などとして利用されたのち、2012(平成24)年に登録有形文化財となったことを機に、明治期の居住者に由来して「デフォレスト館」へと名称を変更しました。

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写真4 「シップル館」(1985年撮影)


 今月28日のシンポジウム「重要文化財『デフォレスト館』の価値について」では、デフォレスト館の歴史的価値・特徴について、建築史や文化財学の専門の先生たちによる講演・ディスカッションが行われます。ご興味のある方は、ぜひご来場ください。
♦「重要文化財『デフォレスト館』の価値について」開催案内(9/28開催)
https://www.tohoku-gakuin.jp/info/top/190829-2.html