【敬神愛人】TG章と小泉成一(史資料センターWEBコラム)
2019年11月29日
東北学院を象徴する「TG章」。東北学院のイニシャルであるTとG、そして十字架を組み合わせたこの徽章が誕生したのは20世紀初頭のことでした。そして、そのデザインをしたのは、小泉成一(写真2)という人物でした。
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写真1 現在の公式TG章 | 写真2 小泉成一(1869~1921) |
小泉は、1869(明治2)年2月、広島県福山市に生まれました。1922(大正11)年1月1日付の『東北学院時報』第45号によれば、両親に従って神奈川県の鎌倉に移った小泉は、東京の彰技堂という洋画塾で絵を学んだ後、様々な学校で教鞭を振るったようです。そして、1901(明治34)年、東北学院の美術担当だった布施淡が3月に急逝したことにより、後任として彼の友人でもあった小泉が東北学院に赴任することになりました。
小泉が赴任した当時の東北学院は、押川からシュネーダーへの院長交代、さらに普通科における上級学校進学と徴兵猶予特典付与のための国との交渉(許可が出るのは翌1902年)など、めまぐるしい変革を迎えていた時でした。このような慌ただしい状況にあった1901年10月13日に開かれた普通科教員会にて、徽章および学帽の制定が議題に上がり、小泉ら5名が委員としてその形・意匠について選定することが決定しました。『東北学院七十年史』によれば、制服が登場する以前、学生たちは「和服に下駄足駄ばき」という恰好で、中には、新聞配達や牛乳配達の仕事から帰ってきたままの恰好で登校する者もいたようです。そうした状況もあって、制服・学帽を制定しようという話が、以前から学内でも持ち上がっていたようです。
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写真3:普通科教員会で提出された 徽章の案 |
写真4:国に提出された専門部の制服と 学帽のひな型(赤丸がTG章) |
1901年11月11日、教員会にて徽章の原案が提出されました。写真3の通り、初期案では十字の中に「G」が大きく書かれているデザインだったようで、現在の徽章とは異なっています。現在の形になった経緯について、当時、普通科の生徒だった小平國雄は学生時代の回想の中で、自分たち5年生が「小泉先生と協議して、独乙(ドイツ)の最高勲章を模型にとり現在のものを作製」したと述べています(1936年5月10日付『東北学院学生時報』掲載、小平國雄「五十年後を待望して」)。これが果たして事実かは不明ですが、小平がこれを良い思い出として誇っていることは、当時の生徒から見てもTG章が素晴らしいデザインだったということではないでしょうか。
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写真5:徽章のついた学帽をかぶる 中学部生徒(撮影年月日不明) |