学校法人東北学院

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【敬神愛人】戦前の修学旅行(史資料センターWEBコラム)

2020年08月25日

 学校行事のひとつに修学旅行があります。仲の良いクラスメイトと共に、普段なかなか行くことのない東京や関西へ向かう修学旅行は、小中高生たちにとっては、まさに一大イベントです。そんな修学旅行ですが、東北学院ではいつから行われており、昔はどのような行事だったのでしょうか。

 東北学院において、学校行事として「修学旅行」という言葉が使われはじめたのは明治時代まで遡ることができます。1898(明治31)年5月に発行された『東北文学』第30号の雑報のなかで「東北学院は一泊の見積りにて去る二十七日松島地方に向け修学旅行を試みたりしが翌日帰校せり」と報告されています。現代の修学旅行は、決められた学年になると東京や関西などへ向かう行事というイメージが強いですが、東北学院における初期の修学旅行は、少し離れた土地へ行くというもので、いくつかの学年が合同で行う行事のようでした。

 また、1903(明治36)年11月に発行された『東北文学』第3巻第4号では「是迄普通科一年より神学部に至るまで同じ方向に行軍するの慣なりしが今秋は其趣きを異にし一年二年は松島石巻三年以上は金華山方面なりき」と報告されており、学年によって違う場所へ向かっているが様子がうかがえます。こうした変化のなかで、旅行先も県外へ向くようになります。

 そして、1907(明治40)年にはじめて東京方面への修学旅行が実施されます。『東北学院普通科教員会記録』によると、普通科5年生及び専門部最高学年は三泊の予定で東京方面へ修学旅行を行い、「博覧会ヲ見物シ其他東京市内重要ナル箇所ヲ視察」したと報告されています。こうした東京方面への修学旅行は1912(大正元)年から恒例化し、毎年行われるようになっていきます。

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東京への修学旅行(昭和7年)

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京都への修学旅行(昭和11年)

 こうした修学旅行に関する報告は同行した先生により、『東北学院時報』の紙上でも行われました。それらの報告のなかで興味深いのは、東京方面へ修学旅行に訪れた際、現地の同窓生が出迎えや歓迎会などを開き、生徒と交流する機会があったということです。このことについて、当時教員だった須藤鬼一は1918(大正7)年12月15日付の『東北学院時報』のなかで「実際五年生は此の修学旅行によって、東京横浜の諸先輩に接し、其の厚情を味ひ、ホントウに同窓の気分を養ひ得て、近き将来に於て会員たるべき土台をこしらへるのである」と修学旅行での同窓生との交流の意義を述べています。この同窓生との交流は生徒だけではなく、同行する先生たちにとっても旧交を温める貴重な機会となっていたようです。                                         

 そんな修学旅行について当時の生徒たちはどう感じていたのでしょうか。1937(昭和12)年6月10日付の『東北学院学生時報』には商科4年生が修学旅行へ行った際の感想をまとめています。そこでは「ゲーテの様に明るい光をあびて来たといふ感じである」と感想を述べており、自分たちの将来に「多少の支配力を持つ」であろうとしています。当時の生徒たちにとって、東京や関西というなじみのない土地での体験やそこで働く同窓生たちとの交流は新鮮で刺激あるものだったようです。

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「可愛い子には旅 商科四年旅行記」(『東北学院学生時報』より)

 このような戦前の修学旅行は太平洋戦争の戦局悪化などの影響により、次第に厳しくなっていき、1943(昭和18)年には当時の文部省より正式に禁止されることとなりました。戦後の東北学院においては、1953(昭和28)年に中学校の第一回修学旅行を待つこととなります。(昭和28年11月4日付『TG新聞』より)