学校法人東北学院

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【敬神愛人】スペイン風邪の流行と東北学院

2020年11月19日

 昨今、新型コロナウイルス感染症が日本を含めた世界中で猛威を振るっています。こうした感染症の大流行について、今から約100年前の1918~20(大正7~9)年には、通称スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザによる世界的パンデミックが発生しました。日本においても「流行性感冒」や「悪性感冒」と呼ばれ、1918~21(大正7~10)年にかけて断続的に流行し、多くの感染者を出しました。そうした世界的パンデミックのなか、当時の東北学院ではどのような状況だったのかを紹介していきたいと思います。
 当時のインフルエンザによる被害状況について、1918(大正7)年12月15日付の『東北学院時報』(以下『時報』)では、「母校の窓から」というコーナーにおいて、「教師も生徒もバタ〱と片端からやられて、一時は中学部の教員室に毎日四五人位の缼勤者が更に〱に生じ生徒の方も甚だしい組になると十二三人及至十九人の缼席者を出すに至つた。」と報じています。一方、こうした被害を出しながらも「他のような休校騒ぎ」にはならず、「多数の生徒中一人も之がために斃れたもの」もいなかったと同紙では報告しています。また、インフルエンザの流行に対して、中学部では生徒を対象に、学校医による講話が催されていたことも記録されています。
 さらに、上記のコーナーにおいては教員がインフルエンザに罹ったことや、教員や生徒、同窓生たちの関係者がインフルエンザにより亡くなったことが度々報じられています。1919(大正8)年2月25日付の「母校の窓から」では、「少し鼻がわるくとも喉が痛んでも直ぐ夫ぢやないかと怖気立たせて居る」と当時の様子を伝えています。
 こうしたインフルエンザの被害者の一人に、東北学院普通科を卒業し、当時東京帝国大学の学生であった鈴木義男がいます。鈴木は1918年11月の高等文官試験後にインフルエンザに罹りますが、鈴木本人だけではなく、彼の父もまた同時期にインフルエンザに罹り、その後肺炎を併発、11月21日に亡くなります。1919年1月1日付の『時報』には彼が三石という人物へ宛てた私信が掲載されています。そこには彼の父がなくなる前後の様子と「アーア、もう父上は居ないのだなァといふ感じは限りなく悲痛なものであります」と当時の心境を述べ、「この頃やつと孝行がしたい心持になりましたのですから、アヽせめて二年でも三年でも生命ほしやと願はれました」と後悔の念を覗かせていました。

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『東北学院時報』に掲載された鈴木義男の手紙

 このような大きな被害を出したスペイン風邪は1920年以降、収束していくことになります。現在、新型コロナウイルスの影響により、大変な時期ですが一刻も早い収束を願っております。

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