学校法人東北学院

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【敬神愛人】労働会の思い出(史資料センターWEBコラム)

2021年03月04日

 東北学院には「労働会」と呼ばれる組織が存在していました。労働会は経済的に豊かではない生徒が働いて学資を稼ぐための団体として、1892(明治25)年に創立者押川方義の手によって設立されました。労働会での生活は塾舎での共同生活を基本としながら、新聞配達や牛乳配達、味噌醤油販売、印刷業など幅広い事業を展開していました。

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労働会の学生たち

 青木徹著『東北学院労働会物語』では「本書を、東北学院に青春を送った旧友に捧げる」として、著者が在学中であった1916(大正5)年から1920(大正9)年までの労働会での生活の様子が描かれています。本書では毎日午前三時から始める新聞配達や印刷所での活版印刷という労働会での仕事の様子に加え、クリスマスや送別会などのイベントで盛り上がる塾生たちの様子や学校で起こった様々な騒動、当時の仙台の様子などが語られています。
 また、1936(昭和11)年5月1日付の『東北学院時報』では、田口泰輔により「勞働會の思ひ出」と題して1903(明治36)年当時の労働会の様子が語られています。記事では当時、労働会という名前があまり聞きよい名称ではなかったことや自由自治の生活であったこと、毎朝新聞配達や牛乳配達を行い、帰り次第大根汁に数杯の麦飯をかたむけて学校へ走ったことなどのエピソードが紹介されており、「特に感謝すべきは貧と勞働によって結ばれた友情と質実剛健なる精神と種々なる青年時代の誘惑から免れ得たことである」と結ばれています。
 こうした労働会で結ばれた友情は固かったようで、卒業後も労働会出身者での集まりが催されることがありました。1933(昭和8)年10月1日付の『東北学院時報』にはそうしたの集会の報告がなされています。この記事では「勞働會の存在は確かに學院スピリットの生きた源泉であり懐かしき想出のふる里」と述べられており、集会自体の様子は「當時の懐舊談に花が咲き楽しかったこと苦しかったこと、あれからそれへと爆笑、微苦笑の連發」で「十幾年振りかで全くあの頃の麥飯生活に返って了った」と大盛り上がりだったようです。
 このように労働会で働きながら、同じ釜の飯を食べ、ともに学問に励む者同士の共同生活は、当時の塾生たちにとって、まさに青春であり、その後の人生にも大きな影響を与えるものとなりました。

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1952(昭和32)年に行われた「旧労働会を偲ぶ会」

 そんな多くの思い出を残した労働会は、産業社会化の進展とともに経営不振が続き、1921(大正10)年には廃止を余儀なくされます。そして、多くの生徒が青春を送った塾舎は、東北学院労働会寄宿舎と改称され一般学生も受け入れながら、1932(昭和7)年の最終的閉鎖まで続くこととなります。