【敬神愛人】専門部校舎の建設と幻の皇太子行啓(史資料センターWEBコラム)
2026年10月13日
1926(大正15)年10月16日からの4日間にわたって、東北学院創立40周年記念式と専門部校舎(現在の大学本館)の献堂式(落成式)などが挙行されました。つまり、今月(2026年10月)は大学本館の落成からちょうど100年にあたります。
献堂式は創立記念行事の一環として、盛大に祝われました。記念映画「東北学院の40年」には、落成したばかりの専門部校舎が映っています。また、創立記念行事3日目には構内が一般開放され、現在、大学本館南隣にあるグラウンドの場所で開かれた「落成記念園遊会」では、演芸場、おでんや汁粉などの模擬店が軒を連ね、数多くの仙台市民、軍人、外国人が訪れていた様子がわかります。
落成記念園遊会の演芸場(記念映画「東北学院の40年」)
さらに、会場には院長のシュネーダーを模した人形が飾られました。シュネーダーが多くの人びとから愛されていたのが、このことからもみてとれます。
シュネーダーを模した人形(記念映画「東北学院の40年」)
このおよそ1年前、専門部校舎の定礎式が挙行されました。当初そこにはある人物がゲストとして東北学院を訪れる予定でした。そのゲストとは皇太子裕仁親王、後の昭和天皇です。
1925(大正14)年10月、宮内省から東北学院に対し同月25日に皇太子が行啓すると正式に通知されました(『往復文書綴 第二号』)。同年9月25日付けの『東北学院時報』をみると、皇太子を迎える喜びの声とともに、物々しい雰囲気が伝わってきます。
蒔田「摂政宮殿下行啓について」(『東北学院時報』(62)1925.9.25)
残念なことに、行啓は直前になって中止されました。宮城県行啓の本来の目的であった陸軍特別大演習の視察中に体調を崩してしまい、東北学院行啓を予定していた10月25日、急遽帰京したためです。この結果、定礎式は翌11月3日に順延されることとなりました。同年12月10日付けの『東北学院時報』によれば、急な開催変更となってしまい、外部に案内をせずに「内輪」で開かれたことがわかります。
「専門部校舎定礎式」(『東北学院時報』(63)1925.12.10)の一部(傍線筆者)
後に昭和天皇が東北学院を訪れたことはありませんし、ほかに皇太子が訪れたこともありません。まさに「幻の皇太子行啓」といえるでしょう。
ちなみに、この行啓のなかでもう一つ行われるはずだったのが、本院同窓生であり世界的な生物学者の畑井新喜司によるご進講です。『昭和天皇実録』によれば、その年の11月9日に改めてご進講が行われ、また、戦後の1954(昭和29)年6月23日にも行われたことが確認できます。
生物学研究をライフワークとした皇太子裕仁親王(昭和天皇)にとって、畑井は学問の師の一人であったようです。畑井の没後、昭和天皇が青森県の東北大学附属臨海実験所(現在の浅虫海洋生物学教育研究センター)を行幸されたときには、次の御製を詠まれました(『昭和天皇実録』)。
白海鼠〔しろなまこ〕見つつし思ふありし日の畑井博士に聞きにしことを