学校法人東北学院

東北学院の100年

第Ⅱ章 東北を日本のスコットランドに
草創時代 1886(明治19)年~1900(明治33)年

労働会の貢献

押川を慕って集まる学生たちの自給・自立を図るため設けられた労働会は、多くの人材に勉学の機会を与えた。その業種は農業、洗濯、書籍、配達、牧場など多岐にわたった。金子記念印刷所は、11年のアメリカ留学ののち、神学部教授として帰国を目の前に急死した金子謹三を悼んで寄せられた寄付によって設けられたものである。労働会は初めは押川個人の運営に頼っていたが、のちに理事局の管理のもとに移され、1921(大正10)年の廃止まで、学院全体の発展に大きく貢献し、その気風は高校、大学の二部に受け継がれた。