学校法人東北学院

東北学院の100年

第Ⅱ章 東北を日本のスコットランドに
草創時代 1886(明治19)年~1900(明治33)年

押川の辞任とその後

すでに1895(明治28)年、押川は北海道同志教育会を興こし、北見地方に学田を設けた。1901(明治34)年、東北学院長を辞任し、大日本海外教育会によって朝鮮や中国などに雄飛を試みた。さらに後には、政界に進出し、愛媛県から代議士に当選した。1928(昭和3)年、東京で死去、盛大な葬儀が営まれた。まことに明治・大正を生き抜いた大志・大望の生涯であった。写真は押川がその家族に残した書、「脳溢血で倒れた次の日、孫の昌一を病床近くよび、墨をすらせ伊予紙に墨痕鮮かに遺訓をしたためて与えた」(『東北学院七十年史』より)。